景気の悪化を受けた金融緩和のために中央銀行が政策金利の引き下げを繰り返した結果、一段の利下げの余地がなくなる事態も生じます。その場合、中央銀行は金利でなく、市場に供給する資金の「量」を増やすことで金融緩和を図ろうとします。こうした政策手法を広義に「量的緩和」と呼んでいます。
日銀が2001年から06年まで採用した政策手法が量的緩和の代表例となっています。民間銀行が日銀に開設する「当座預金口座」に残高目標を設置して市場に供給する資金を増やしました。日銀はこの枠組みを協議の量的緩和と定義し、今の政策を量的緩和とは呼んでいません。
一方、FBRは住宅ローン債券など特定のリスク資産に照準を定めて買い取る「信用緩和」を実施しており、FBRは両者を明確に区別してきました。量的緩和が資金の量そのものを重視して安全資産である国債を購入するのに対し、信用緩和では資金の量よりも購入する資産の中身を重視しているためです。
今回FBRは国債の買い取りを決め、量的緩和の色彩が強まりました。すでに国債の買取りを行っている日銀や英イングランド銀行も含め、広義の「量的緩和」は大きな潮流になりつつあります。
(日本経済新聞2009年3月20日記事より引用)
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ヨーロッパ人がアジアや南北アメリカなどへの進出を始めた大航海時代、1602年にオランダで設立された「東インド会社」が株式会社の発祥とされています。
株式を発行して投資家から巨額の資金を集め、海外貿易や鉱山の開発、農場経営などを行なっていました。それまでにもヨーロッパでは希少価値であった香辛料等や金銀の貿易をするために一航海ごとに出資者を募集して、成功すれば得られた巨大な利益を分配するハイリスク・ハイリターンのシステムはありました。
しかし、会社という組織自体への出資者を集めて投資リスクの分散化を図り、近代的な簿記会計制度や取締役制度を整えて組織運営を行なったのは東インド会社が初めてだったのです。
その株式に当たる出資証明書は株主の権利とともに資産家の間で自由に売買されるようになり、出資者と事業運営者を明確に分離してその出資証券を流通させるという現在の証券取引の原形となりました。 |
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